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インドをもっと知ろう! |
「母なるインド」が悲しみにくれた日
2005.5.26(木) PlanetGuru
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Mumbai:
往年の銀幕俳優で、現スポーツ大臣のスニール・ダット(Sunil
Dutt)氏が急逝した。
マンモーハン・スィン首相やコングレス党首ソニア・ガンディー氏もデリーから駆けつけ葬儀に参列し、悲しみに沈んだ。
同氏の子息で人気俳優のサンジャイ・ダット(Sanjay
Dutt)氏は終始、両目に一杯の涙を浮かべていた。
「稀有の公人(インド首相談)」を最後に一目見ようと、サンタ・クルズの葬儀会場へは数千人の人々が詰めかけた。 |
バンドラ(Bandra)地区にあるスニール・ダット氏の自宅から、遺体を載せたトラックにサンジャイ・ダット氏始めサルマン・カーン(Salman
Khan)氏、ムケシュ・ダット(Mukesh
Dutt)氏等の映画俳優たちが乗り込み出発すると、10km先まで人々が道の両脇、また木の上から花のシャワーを浴びせた。
ムンバイだけでなくインド中が、往年の人気俳優、そしてすばらしい政治家としても名高かったこの人物の突然の死に衝撃を受け、政府も一日の服喪を発表。
ダット氏は、来月6日に76歳の誕生日を迎える予定だった。
スィン首相は哀悼声明で、
「映画界で活躍し、華やかな人格を備えたスニール・ダット氏は、数々の意義深い役柄を演じ分け多くの映画に出演、数百万の人々の心を掴み、誰もが知る有名人となった」
と故人を評した。
ダット氏は二人の娘と息子のサンジャイ氏を、この世に残した。
初めての共演で一目惚れののち結婚した妻のナルギスさんも映画女優で、1981年にガンとの闘病後亡くなった。
家族の話では、ここ数日体調が優れなかったダット氏は月曜日に血液検査を受診したものの、異常が見られなかったという。
「亡くなる前日の夜も、普通に就寝していた」と語っている。
急逝の知らせを聞き、ボリウッドスター、政治家から貧しいスラムの住民たちまでもが、彼の自宅に押し寄せた。
ソニア・ガンディー氏は政治家としてのダット氏を、
「稀な人格。問題があったら真っ先に駆けつけ、いつも民衆の側にいるのが彼だった」
と惜しんでいた。
1929年6月6日に、現在パキスタン領のクルドという村で生まれ、出演した映画は100を超える。
なかでも、「Padosan」、「Jis Desh Me Ganga Behti Hai」、「Mother India」、「Waqt」、「Humraaz」、「Reshma Aur Shera」、「Yadeein」、「Gumrah」、「Yeh Raastein Hain Pyar Ke」、最近では「Munnabhai
M.B.B.S.」が大ヒットした。
スニール氏は5歳の時に父親を亡くし、1947年の分離独立まで、ホームレス同様の生活環境下で、母親と父の兄に育てられた。
のちに家族は現ハルヤナ(Haryana)州アンバラ(Ambala)に引っ越したが、政府から土地の支給をされるまでの間、そこでも路上生活に近い状態で暮らしていたという。 |

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勤勉なパンジャービーの血の流れるダット氏はムンバイに移り、そこから新しい人生が始まった。
始めに就いた仕事はボンベイバスサービス(Bombay Bus Service)会社の事務員、そこでイギリスの広告会社と関わるきっかけを掴み、ラジオ・セイロン(Radio Ceylon)の番組で放送するインタビューのため、俳優たちと接触する機会が増え、自らも「ミニセレブ」となっていく。
初出演した映画は「Railway Platform」
それからは上昇気流に乗り、出演する映画は次々ヒット、超人気俳優にのし上がり、「Padma Shree」という国民栄誉賞を受賞するまでになった。
妻のナルギスさん逝去後の1981年からは政界に進出、コングレス党に所属し、ソーシャルワークを幅広い範囲に渡り展開、人々から多大な信頼を集めた。
そしてこれをきっかけとして、インド国内及び海外のガン医療病院への寄付を募り、その際元クリケット選手で現パキスタン政治家、イムラン・カーン氏と協力するなど、印パ国境を超えた働きぶりを発揮した。
1987年には娘のプリヤさんを伴って、ムンバイからアムリッツァ(Amritsar)の黄金寺院(Golden Temple)まで2,500kmを76日間で踏破した。
平和を訴えるため、バイクで南アジア5カ国(インド、パキスタン、バングラデシュ、ネパール、スリランカ)を回ったり、広島から長崎まで戦争反対ウォークを行ったりして話題もさらい、また自然災害が起きれば、そこに彼の見舞いの姿が必ずあったのも人々の印象に深く残っている。
また生涯を通じて、ネール・ガンディー一族と親交が深かった。
人生でも最も試練の時とされたのは、サンジャイ・ダット氏の麻薬疑惑と1993年のムンバイの暴動など、一番政情が不安定な際に多大なエネルギーが必要だったことだろうか。
これら全てを乗り越えたのち、25日にこの世を去っていった。
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スニル・ダット氏はクリーンな政治家としても有名で、政界人生25年間で一度も賄賂を受け取らなかったということです。
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