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ボヘミアのベンガリ――パリで成功した貧困の芸術家
2003.9.18 BBC

カルカッタの町で、生活のためにタクシー運転手をしていた若者、マドゥ・マンガル・バス(Madhu Mangal Basu)は、いつか自分がパリの芸術界の表舞台に立とうなどとは、夢にも思わなかった。

彼は現在、フランスでもっともよく知られるインド人芸術家の一人である。

マドゥの父親は、1947年当時東パキスタン―現在のバングラデシュからカルカッタに出てきた難民だった。

難民居住地で暮らし、下級公務員の仕事を得たが、きわめて収入は少なかった。

家族は竹でできた粗末な家に住み、幼い頃マドゥ氏は難民キャンプにある小さな学校で教育を受けることになった。 

その境遇の中、彼は早い年齢から芸術分野に興味を持っていた。

彫刻を生業とする人々の集落がマドゥ氏の家の近所にあり、放課後よくそこを訪れては彫刻の技術を学んでいた。

一方苦しい家計を助けるために、ごく幼い頃から、彼は働き始めなければならなかった。

「新聞配達や、結婚式の招待状を作ったりなどしていました。」 

結局まともに通学せずして、1977年マドゥ氏は学校を離れタクシー運転手となった。

しかし彼の生涯が、この仕事に捧げるためにあるのではないことに、彼はすぐに気づき始めた。

マドゥ・バス氏は、空いている時間を使って、芸術の大学に通い始めた。 


運命の転機はある日突然訪れた。

友人の一人が、カルカッタ旅行に来ているあるフランス女性のお客をタクシーで案内してくれるよう頼んだ。

この女性との出会いが、彼の人生を大きく変える。

それはほどなくしてタクシー運転手とパリジャンとの愛に発展、それは実り、二人は結婚。

1998年、マドゥが芸術大学を卒業した時、妻の望みは彼とパリで暮らすことだった。

しかし当初、彼は知り合いの誰もいないパリで、人々に自分の芸術を認めてもらえるかどうか不安だった。


パリでの彼の才能は、すぐさま権威のある芸術大学The Ecole Superieur Des Beauxの教授に紹介され、そのスタジオが提供された。

マドゥ・バス氏はこれ以降、決して後ろを振りかえらなかった。

彼の名は一流のインド人芸術家として広く知られ、フランス中の町や都市で彼の作品の展覧会が開かれている。

今となれば、パリの芸術界で彼の名を知らない者はいない。
彼もカルカッタで過ごすよりも、パリで過ごす時間のほうが多くなった。


貧困から上昇し、見事に成功したマドゥは、いま、他の戦うインド人芸術家たちにも同じチャンスを与えたいと願っている。

来年パリでは、インドからの芸術の才能を紹介するための展覧会が開かれる予定だ。

そしてまた彼は、有望な若きインド人芸術家のために1年間パリに留学することができるように、奨学金を設立することを望んでいる。 


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